1980年代初頭から西側諸国で始められた改革のほとんどは、新公共管理(NPM)という流れに乗っていた。国家をスリムにし、公的介入を減らし、重たい官僚機構をやっつけることが目的とされた。その理論的背景は「パズル」にとどまっていた(1)。合理的主体は自己の利益の最大化だけを追求するという個人理論、事業管理の専門評価、そして経済協力開発機構(OECD)や世界銀行が世界各地からピックアップした「正しい実践」がごっちゃになっている。NPMをいち早く、最も熱心に推進したのは、間違いなくサッチャー時代のイギリスである。これを担ったのは、ケート・ジョセフ産業相その他の政治家と、経済問題研究所(IEA)や政策研究センター(CPS)など一握りの民間シンクタンクである(これらのシンクタンクの所員の一部は� �1979年の保守党勝利後に政府ポストを得た)。「新しい公共管理」の最大の成果のいくつかは、以後のイギリスにおいて見られることになる(2)。
政府部門を嘱託化し、事業評価の対象とする。公共サービスに競争や企業経営手法を導入する(3)。支出の「合理化」を図る。公務員は単なる執行者と位置付けて、中央の権限を強める。サッチャー政権(1979-90年)とメージャー政権(1990-97年)の間に進められた行政の改革と実験は、このような主張を大きな推進力としていた。
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例えば、国家監査局(NAO)が設置された。予定された公的支出が、コスト・パフォーマンスという金科玉条に照らして実施されるよう、監督する機関である。また、財政管理イニシアチブ(FMI)が開始された。公共サービスにおける成果基準の普及を目的としたものだ。さらに「ネクスト・ステップス」というプログラムも推進された。行政の一部をまるごと、一定の独立性と柔軟性を備えた外部機関に移管するプログラムであり、サッチャー主義の担い手たちが旧態依然で無能だと非難した高級官僚の権限を打ち崩すものである(4)。
公権力とその範囲の見直しが進められる一方で、中央の権限は強化された。最大の狙いは、労働党の基盤をなす中間団体(主として労働組合)と地方を弱めることにあった。
その後にニュー・レーバー(新しい労働党)のリーダーたちが政権に就いたわけだが、公共性に関わる従来路線が修正されたようには見えなかった。1997年5月に発足した政権の言動は、監査、成果管理、「問題児」の処罰といったことを崇め奉るがごときだった。かねてブレアの「お気に入りの社会学者」の座を占めていたアンソニー・ギデンズは、「政府改革に関わる『第三の道』の思想は、NPMから強力な影響を受けた」と2003年に認めている(5)。
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ニュー・レーバー政権下で、事業評価が民主的な衣をまとったことは事実だ。委員会が増えたことで、「公共の質」の管理に市民が参加できるようになった。事業評価には、業務コストだけではなく、社会的、環境的、質的な基準も加味されるようになった。また、「市場に逆らえば罰される」というブレア流の市場万能主義が、労働党の「近代派」の中でさえ全面的に支持されていたとは言えない。それに沿わない施策はいくつもあった。例えば、民営化されて滅茶苦茶になっていた鉄道施設は、2002年に政府によって(再国有化とは言わないまでも)救済された。
とはいえ、保守党の下野によって、NPMの基本的な考え方そのものが消え去ったわけではない。むしろ、そうした考え方は、2000年代初頭のイギリス社会に広まり、さらに人口に膾炙していった。例えば、労働党の日常的な言葉遣いの中で、公務員がパブリック・サーバント(公共の奉仕者)、アドミニストレーター(事務官)、プラクティショナー(実務家)の代わりに、リーダー、ストラテジスト(戦略家)、コントラクター(請負人)、ビジネス・マネージャーと呼ばれるようになったことは、些末な問題ではない(6)。そのうえ、「政府内左派」の代表的な論客たちは、ビジネス・スクールで受けた教育に大きく感化されており、分類や透明性、管理といった考え方を強化した。
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NPM推進の帰結の一つは、地方と中央の行政担当者が、自分たちの事業と成果について、ほぼ恒常的に弁明しなければならない状況に置かれたことだ。様々な成果基準や成果目標が設けられ、それらが些細な決定にも逐一適用されるようになったために、NPMの実施で解消されるはずだった官僚的事務が増大したのは、皮肉としか言いようがない。
ブレア政権は時には保守党政権以上に、NPMの論理を追求しているように見えた。OECDの期待を超える成果だった。最良の病院や学校施設に運営の自主性を約束するだけにとどまらず、公共サービスにおける「選択」の余地を強調した。首相官邸直属の公共サービス改革室の用語によれば、今や市民は「消費者」として振る舞うようになった。他方で公務員は、伝統的に「パターナリズム」を重視し、変わり映えのしないサービスしか提供せず、自分たちの利益の方を大事にしていると見なされていた。だから福祉国家を存続させるためには、給付内容の多様化と提供者の多様化(公的機関と民間企業)が必要ということになる。
ブレアが主張したのは、まさにこうしたことだ。彼は2002年に、来るべき改革について発表した際、公共サービスは「サービスを提供する側よりも、患者、生徒、乗客、一般公衆の必要性」を中心に再編すべきだと明言した。選択の提唱者たちによれば、選択肢が医療や教育の場に広がれば、利用者は子供の学校や、治療を受ける施設を選べるようになり(治療の内容まで利用者の選択に委ねられる場合さえある)、責任感を持つようになるという。 また、もう一つの効果として、行政は内部で、また民間との競合状態に置かれるため、競争心を煽ることができるという。
確かに言えることがある。サービスの質的向上という大義名分の下で進行した事態についての疑問である。こうした動きの中で、国家に対する市民の関係が個別化され、リスク管理の責任が国家から市民個人へと、次々に移されているのではなかろうか。
- (1) Philippe Bezes, Reinventer l'Etat. Les reformes de l'administration francaise (1962-2008), Presses universitaires de France, Paris 2009, p.3.
- (2) 前兆はあった。例えば、1968年に労働党政権下で作成された報告書は、既に公共サービスの「生産性の低さ」を嘆いていた。
- (3) Cf. Denis Saint-Martin, Building the New Managerialist State, Oxford University Press, 2000.
- (4) だが、一部の高級官僚は、進んで改革に加担した。Cf. Jack Hayward and Rudolf Klein, << Grande-Bretagne : de la gestion publique a la gestion privee du declin economique >> in Bruno Jobert (ed.), Le Tournant neo-liberal en Europe, L'Harmattan, Paris, 1994.
- (5) << Neoprogressivim >>, in Anthony Giddens (ed.), The Progressive Manifesto, Polity Press, Cambridge, 2003, p.14.
- (6) John Clarke and Janet Newman, The Managerial State, Sage, London, 1997, p.92.
(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年12月号)
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